32.のりこさんの子どものときの話ー小学生(しょうがくせい)
みなさん、こんにちは。日本語の先生のりこです。
今、私は歩いています。忙しい道、車が多い道のすぐ横を歩いています。ですから、ちょっとうるさいかもしれません。
車の音が入っていたら、ごめんなさいね。歩きながら話しています。
私は今仕事が終わったばかりです。今朝は、すごく雨が降っていたんですが、今は晴れました。晴れているから、今日は家まで歩いて帰っています。
今から、多分40分ぐらいかな。40分ぐらいかけて、歩いて帰りたいと思います。じゃあ今日のエピソード始めます。
今、家に帰ってきました。うわー、45分かかったかな。結構早く歩いて帰ってきました。ああ、でも疲れたから、疲れちゃったから、今お菓子を食べちゃった。
あの、せっかく運動したのに、チョコレート食べちゃった。まあいいか。
じゃあ、今日は私の子供の頃の話をしたいと思うんですね。
私は、四人家族、ね、日本の家族、四人家族。お父さん、お母さん。父と母、私、そして妹ですね。私は長女です。お姉さん。
私が生まれた時、私の母は仕事をしていました。えー、母はですね、ピアノの先生だったんですけれど、大きなピアノ教室の会社、ヤマハ音楽教室っていうところで、ピアノの先生として働いていたんですね。
ですから、え、私が生まれても、だから、私を産んでもですね、母が私を産んでも、母はその仕事を続けていたそうです。じゃあ、私のね、面倒は誰が見ていたかと言うと、近所のおばさんが私の面倒を見ていてくれたそうです。
昔の話ですから、ね、保育園とかじゃなくて、近所のおばさんが私の面倒を見ていてくれたそうなんですね。私は赤ちゃんでしたから全然覚えてないね。記憶にもないんですけれども、そうだったそうです。
そしてですね、母は私の妹ですね、妹を産んだときに、その仕事を辞めました。それで、今度はですね、自宅で、自宅でピアノ教室を始めたんです。その当時はですね、私の母はすごく頑張っていたみたいで、多い時にはですね、50人ぐらい生徒さんがいたそうなんですね。ですから毎日すごく忙しいかったんですよ。
特に子供にピアノを教えますから、学校が終わった夕方から、夜遅くまで、ずっと仕事を家でしていました。じゃあ私の面倒は、誰がその時見ていたかって言うと、今度は私のおばあちゃんですね、祖母、おばあちゃんが、私の面倒を、お世話をしてくれていました。
私のおばあちゃんの名前は、和子さん。和子おばあさんなんですけれども、もう他界しています。数年前に他界したんですけれども、すごくこわい、厳しいおばあちゃんだったんです。よく覚えてますね。学校から帰ってきて、私はすぐおやつを食べたいのに、おばあちゃんは、「最初に宿題をしなさい」って言って、いつも宿題をさせられていました。
でもですね、そのおかげですごく私は宿題を真面目にして、忘れ物もせずに、真面目で勉強も出来る小学生だったと思います。
この厳しいおばあちゃんのおかげだね。そして、どうしてこのおばあちゃんね、かずこおばあちゃんは厳しかったかと言うと、実は、おばあちゃんは小学校の先生だったんです、昔。
先生だから、私は家にいても、先生に宿題を教えてもらっていたような感じだったんですね。だから本当に、きっちり、いろいろ教えてくれたおばあちゃんでした。
私は、小学生の時には、すごく明るくて、活発、アクティブな、活発な女の子でした。宿題が終われば、近所の友達と外で、だいたい外で、ボール遊びをしたり、縄跳びをしたり、その時は、コンピューターゲームね、なかった、テレビゲームがない時代ですから、公園でそういうことをして、遊んでいました。
あとね、よく覚えているのは、私は小学校ね、家からすごく遠い小学校に行ってたんです。公立ですよ、公立の学校だったけれども、すごく遠くて、歩いてですね、片道50分はかかってました。
今ならありえないよね、でも歩いて、小学校1年から6年まで、ずっと歩いて通学してました。田舎の道で何にもないところを、グループ登校ですよ。小さい時には、大きいお姉さんと一緒に手をつないで歩いて行って、大きくなれば、友達と一緒に帰ってきてっていう感じで。
えー、よくあんな遠く、歩いて通ってたなぁと思いますが。それがよく覚えてるかな。通学道がすごく田舎で、そして遠かったっていうのをよく覚えています。
あと私は、給食が好きでしたね。給食。給食って知ってますか。スクールランチなんですけれども。
私が通った小学校は、小学校に大きな台所、キッチンがあって、そこで給食を作っていました。ですから、毎日、本当にできたてで、すごく美味しい給食だったのを覚えています。私はあまり好き嫌いがない、子供だったから、何でもよく食べていたので、給食もいつも美味しく食べていたと思います。
あとですね、私は小学生の時ですね、あれはね、たぶん、5年生ですね。小学校5年生と6年生の時の私の夢は、小説家になることでした。本を書く仕事をしたかった。その時の夢ですね。その時はたぶん本が好きで、すごく読んでいて、本を書く人になりたいと思っていたと思います。
あと、私も母からピアノを教わっていた、ピアノを習っていましたから、母みたいなピアノの先生にもなりたいなと思っていました。でもですね、このピアノは、中学校に、中学生になったら、やめちゃったんですね。これはちょっと後悔ですね。
母から教えてもらっていて、やっぱり母は、私ね、娘にすごく期待していたと思うんですね。ですから、すごく、厳しく厳しく、練習練習練習みたいな感じで、厳しく教えられて、そして、teengaerになってね、反抗期が来ますよ。
なんでもね、親の言うこと聞きたくない、そんな時期が来ますよね。その時期に、私もピアノしないって言って辞めちゃったんですね。ごめんなさいお母さん。私はその時は悪い娘でしたね。頑張れば良かった。でも中学校になって、中学生になってピアノはやめました
小学生の時には、特に塾には行ってなかったです。多分、今の小さい子供は、英会話教室に行ったり、算数とか国語の教室に行ったり、たくさん塾とか習い事をしていると思うんですが、私はですね、習い事をしてないですね。小学生のときは。ピアノ、ピアノだけしてました。ピアノはしてたけど、他の習い事はしていなかったです。
じゃあ皆さんは、特に小学生の時ですね、どんな子供でしたか。また教えてください 。
どうでしたか。私の子供の時の話をしてみました。いやー、昔々の話ですね。本当に。懐かしいですね。子供の時は、自由だったね。本当によく遊んでたし、勉強していました。
じゃあ今日も最後まで聞いてくれてありがとうございます。また明日。
Words:
お菓子(おかし)
長女(ちょうじょ)
産む(うむ)
面倒(めんどう)
近所(きんじょ)
保育園(ほいくえん)
他界(たかい) きっちり
活発な(かっぱつな)
時代(じだい)
公立(こうりつ)
田舎(いなか)
登校(とうこう)
通学路(つうがくろ)
給食(きゅうしょく)
できたて
小説家(しょうせつか)
後悔(こうかい)
期待(きたい)
反抗期(はんこうき)
塾(じゅく)
習い事(ならいごと)