32.のりこさんの子どものときの話ー小学生(しょうがくせい)

日本語の先生、のりこです! This is the Japanese Podcast. Let's Learn Japanese with Noriko and listen to Japanese every day. Instagram:https://www.instagram.com/norijpteacher/ Email: norijp.oshaberi@gmail.com I teach Japanese on ITALKI. https://www.italki.com/teacher/1856346/japanese Words: お菓子(おかし) 長女(ちょうじょ) 産む(うむ) 面倒(めんどう) 近所(きんじょ) 保育園(ほいくえん) 他界(たかい) きっちり 活発な(かっぱつな) 時代(じだい) 公立(こうりつ) 田舎(いなか) 登校(とうこう) 通学路(つうがくろ) 給食(きゅうしょく) できたて 小説家(しょうせつか) 後悔(こうかい) 期待(きたい) 反抗期(はんこうき) 塾(じゅく) 習い事(ならいごと)

みなさん、こんにちは。日本語の先生のりこです。


今、私は歩いています。忙しい道、車が多い道のすぐ横を歩いています。ですから、ちょっとうるさいかもしれません。


車の音が入っていたら、ごめんなさいね。歩きながら話しています。


私は今仕事が終わったばかりです。今朝は、すごく雨が降っていたんですが、今は晴れました。晴れているから、今日は家まで歩いて帰っています。


今から、多分40分ぐらいかな。40分ぐらいかけて、歩いて帰りたいと思います。じゃあ今日のエピソード始めます。


今、家に帰ってきました。うわー、45分かかったかな。結構早く歩いて帰ってきました。ああ、でも疲れたから、疲れちゃったから、今お菓子を食べちゃった。


あの、せっかく運動したのに、チョコレート食べちゃった。まあいいか。


じゃあ、今日は私の子供の頃の話をしたいと思うんですね。


私は、四人家族、ね、日本の家族、四人家族。お父さん、お母さん。父と母、私、そして妹ですね。私は長女です。お姉さん。


私が生まれた時、私の母は仕事をしていました。えー、母はですね、ピアノの先生だったんですけれど、大きなピアノ教室の会社、ヤマハ音楽教室っていうところで、ピアノの先生として働いていたんですね。


ですから、え、私が生まれても、だから、私を産んでもですね、母が私を産んでも、母はその仕事を続けていたそうです。じゃあ、私のね、面倒は誰が見ていたかと言うと、近所のおばさんが私の面倒を見ていてくれたそうです。


昔の話ですから、ね、保育園とかじゃなくて、近所のおばさんが私の面倒を見ていてくれたそうなんですね。私は赤ちゃんでしたから全然覚えてないね。記憶にもないんですけれども、そうだったそうです。


そしてですね、母は私の妹ですね、妹を産んだときに、その仕事を辞めました。それで、今度はですね、自宅で、自宅でピアノ教室を始めたんです。その当時はですね、私の母はすごく頑張っていたみたいで、多い時にはですね、50人ぐらい生徒さんがいたそうなんですね。ですから毎日すごく忙しいかったんですよ。


特に子供にピアノを教えますから、学校が終わった夕方から、夜遅くまで、ずっと仕事を家でしていました。じゃあ私の面倒は、誰がその時見ていたかって言うと、今度は私のおばあちゃんですね、祖母、おばあちゃんが、私の面倒を、お世話をしてくれていました。


私のおばあちゃんの名前は、和子さん。和子おばあさんなんですけれども、もう他界しています。数年前に他界したんですけれども、すごくこわい、厳しいおばあちゃんだったんです。よく覚えてますね。学校から帰ってきて、私はすぐおやつを食べたいのに、おばあちゃんは、「最初に宿題をしなさい」って言って、いつも宿題をさせられていました。


でもですね、そのおかげですごく私は宿題を真面目にして、忘れ物もせずに、真面目で勉強も出来る小学生だったと思います。


この厳しいおばあちゃんのおかげだね。そして、どうしてこのおばあちゃんね、かずこおばあちゃんは厳しかったかと言うと、実は、おばあちゃんは小学校の先生だったんです、昔。


先生だから、私は家にいても、先生に宿題を教えてもらっていたような感じだったんですね。だから本当に、きっちり、いろいろ教えてくれたおばあちゃんでした。


私は、小学生の時には、すごく明るくて、活発、アクティブな、活発な女の子でした。宿題が終われば、近所の友達と外で、だいたい外で、ボール遊びをしたり、縄跳びをしたり、その時は、コンピューターゲームね、なかった、テレビゲームがない時代ですから、公園でそういうことをして、遊んでいました。


あとね、よく覚えているのは、私は小学校ね、家からすごく遠い小学校に行ってたんです。公立ですよ、公立の学校だったけれども、すごく遠くて、歩いてですね、片道50分はかかってました。


今ならありえないよね、でも歩いて、小学校1年から6年まで、ずっと歩いて通学してました。田舎の道で何にもないところを、グループ登校ですよ。小さい時には、大きいお姉さんと一緒に手をつないで歩いて行って、大きくなれば、友達と一緒に帰ってきてっていう感じで。 


えー、よくあんな遠く、歩いて通ってたなぁと思いますが。それがよく覚えてるかな。通学道がすごく田舎で、そして遠かったっていうのをよく覚えています。


あと私は、給食が好きでしたね。給食。給食って知ってますか。スクールランチなんですけれども。


私が通った小学校は、小学校に大きな台所、キッチンがあって、そこで給食を作っていました。ですから、毎日、本当にできたてで、すごく美味しい給食だったのを覚えています。私はあまり好き嫌いがない、子供だったから、何でもよく食べていたので、給食もいつも美味しく食べていたと思います。


あとですね、私は小学生の時ですね、あれはね、たぶん、5年生ですね。小学校5年生と6年生の時の私の夢は、小説家になることでした。本を書く仕事をしたかった。その時の夢ですね。その時はたぶん本が好きで、すごく読んでいて、本を書く人になりたいと思っていたと思います。


あと、私も母からピアノを教わっていた、ピアノを習っていましたから、母みたいなピアノの先生にもなりたいなと思っていました。でもですね、このピアノは、中学校に、中学生になったら、やめちゃったんですね。これはちょっと後悔ですね。


母から教えてもらっていて、やっぱり母は、私ね、娘にすごく期待していたと思うんですね。ですから、すごく、厳しく厳しく、練習練習練習みたいな感じで、厳しく教えられて、そして、teengaerになってね、反抗期が来ますよ。


なんでもね、親の言うこと聞きたくない、そんな時期が来ますよね。その時期に、私もピアノしないって言って辞めちゃったんですね。ごめんなさいお母さん。私はその時は悪い娘でしたね。頑張れば良かった。でも中学校になって、中学生になってピアノはやめました


小学生の時には、特に塾には行ってなかったです。多分、今の小さい子供は、英会話教室に行ったり、算数とか国語の教室に行ったり、たくさん塾とか習い事をしていると思うんですが、私はですね、習い事をしてないですね。小学生のときは。ピアノ、ピアノだけしてました。ピアノはしてたけど、他の習い事はしていなかったです。


じゃあ皆さんは、特に小学生の時ですね、どんな子供でしたか。また教えてください 。


どうでしたか。私の子供の時の話をしてみました。いやー、昔々の話ですね。本当に。懐かしいですね。子供の時は、自由だったね。本当によく遊んでたし、勉強していました。


じゃあ今日も最後まで聞いてくれてありがとうございます。また明日。

Words: 

お菓子(おかし) 

長女(ちょうじょ) 

産む(うむ) 

面倒(めんどう) 

近所(きんじょ) 

保育園(ほいくえん) 

他界(たかい) きっちり 

活発な(かっぱつな) 

時代(じだい) 

公立(こうりつ) 

田舎(いなか) 

登校(とうこう) 

通学路(つうがくろ) 

給食(きゅうしょく) 

できたて 

小説家(しょうせつか) 

後悔(こうかい) 

期待(きたい) 

反抗期(はんこうき) 

塾(じゅく) 

習い事(ならいごと) 

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Japanese with Noriko

A fully qualified Japanese teacher and also the creator of the Japanese podcast, LEARN JAPANESE WITH NORIKO.

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