155.卒業論文、12歳と15歳の私
皆さん、日本語の先生のりこです。今日はね、私の卒業論文、私が12歳と15歳の時に書いた卒業論文について話していくんですね。あの、私は12月実家に、日本の岡山県倉敷市にある実家に里帰りをしていました。で、その時に自分の昔使っていた部屋の整理整頓をしていたんです。
イギリスに引っ越す時に私の私物、自分の物、ほとんど処分していきました。古い服は古着屋さんに売ったり、本ももうリサイクルに出したり、なので、自分の私物はほとんど残っていないんだけれども、少しだけあるもの、それが写真です。昔撮った写真はそのまま残していたんですね。
私の時代は、昭和の時代は、デジタルじゃなかったので、本当のフィルムの写真。でね、ほとんど見ることないじゃないですか、皆さん。昔の子供の小学校、中学校の時の写真とか、どうしてます。皆さん聞いている人はもうデジタル世代かもしれませんけど。で、私今回ね、もう見ない、どうでもいいような写真、これどんな時撮った写真ってあまり思い出せないような写真は全て捨てちゃったんです。で、よく覚えている写真とか、撮っておきたい写真を厳選して、選び抜いて、イギリスに持って帰りました。で、これから、それをデジタル化しようと思っているんですね。で、デシタル化したら、もう本当の写真は捨ててしまおうと思ってるんですけど。
で、その整理整頓をしていた時に見つけたんです、私が、小学校6年生の時12歳の時に書いた卒業論文、短い手書きの作文と、中学校3年生の時、つまり15歳の時に書えた、書いた手書きの卒業論文の作文。これがね、非常に面白いと思ったので、ここで発表します。読みたいと思います。でね、私こんな内容の作文を書いたというのを本当に忘れてしまっていて、だからこそ、その時ね、見つけて、もう一度読み返して、びっくりしたんです。あの時の自分は今の自分に本当につながっていることを再発見したんです。びっくりしました。
じゃ、まずは、私が小学校6年生の時に書いた、もうすぐ中学校に上がるよ、という時に書いた12歳の時の私の作文を読みますね。タイトルは「一年間頑張った運営委員会」、ここで言う 運営委員会というのは生徒会のことです。私ね、小学校6年生の時が、私の人生のピークだったかもしれない。本当に頭のいい子で、あの、本当に目立つ子で、生徒会の副会長をやっていたんですよ。で、その学校では運営委員会という呼び方だったんですね。じゃ、その作文を読みますよ。
小学校六年生のときの卒業論文(12歳)
『一年間頑張った運営委員会』
あれは5年生の時のこと。「こかさんがいいと思います」、あの声一声で、私は副会長となった。副会長と決まった時は、「もうやるしかない!」それだけだった。そして、会長の中山君を中心に、みんなの思い出に残る楽しい集会を計画してきた。4時半過ぎても残って計画を立てた時もあった。とても苦しかったけれど、運営委員会・副会長の名だけではいけない・・・そう思い最後まで協力し合って頑張った。いくつかの山を越えながら一つの集会ができる。この運営委員会に入り責任感の大切さがよくわかった。それと一人では何もできないことがあるが、みんなと協力し合えばできるということが分かった。この1年間勉強になった運営委員会だった。
以上ですね、どうですか。この真面目な副会長としての作文。すごくない?私、頭が良かったんだね、その時。ちょっと詳しく説明すると、小学校5年生の時にね、あの、生徒会のメンバー、来年のメンバーを決める時に、私は自分で立候補したわけじゃなくて、クラスメートの方から、推薦されたんだね。生徒会に立候補したほうがいい、私が。で、私は名字は「こか」というので、こかさんがいいと思う。で、私、じゃ、推薦されたから、ということでりっこう。で、その後、じゃ、やりましょう、立候補して、で、ちゃんと当選して、選挙だから、当選して、会長には選ばれなかった、副会長になったわけですね。
で、5人ぐらいのメンバーだったかな、1年間いろいろな集会、イベント企画しなきゃいけなかったんです、生徒会で。で、放課後残って、そのお手伝いをしたり、企画をしたりっていうことをやってきたわけですね。で、その時の自分があるから、だと思うんですけど、私は人前で、発表する、このように人前で、話すということに自信をもつができたし、企画力、運営力、あの時に培ったんですね。そう思います。あの時にいろいろな企画をして、失敗をしても、その失敗を活かして、何かをプラニングするっていうことが学べて、それがあるからの私は中学校、高校、大学、社会人になっても、こういうなんか、企画力っていうのがものすごく身についていると思うんですね。
で、今本当にそれはわかります。私は何でも計画するのが得意、好き。例えば、私の、日本語教師として、チャレンジ、Writing チャレンジとか、Summerチャレンジ、New Yearチャレンジ、やっていますけど、そういうチャレンジをプランニングして、企画して、実行するのはとても得意です、私。これは、やっぱり、小学校のときから、培っていたものなんですね。はい、今に繋がる話です。面白いね。
じゃ、もっと衝撃的なのは15歳の時に書いた中学校3年生の時の卒業論文。タイトルは「将来の夢」、では、読みます。
中学校三年生のときの卒業論文(15歳)
『将来の夢』
私は早く大人になりたい。そして世界のいろんな国へ旅行してみたい。また、いろんな人と友達になりたい。
将来、通訳になりたいと思っていたけど、今は違う。外国の人と普通に楽しく会話ができるぐらいの語学力が身につけばいいなと思っている。
将来のことは本当に分からない。だけど、いろんな勉強をして、いろんな経験をして、私に一番合っている職業につきたい。
最後に、老後は平和に楽しく外国の大自然の中でだんなさまとペンションでもひらこうかな!?
以上です。これね、私、本当に、実家でこの卒業論文を見つけて、読んだ時に衝撃的でした。なにこれ!15歳の私、めっちゃ将来が見えている。そして、ほとんど夢が叶ってるじゃん。なにこれ!びっくりしました。
あのね、本当に私は早く大人になりたくて、しょうがなかったんですね。自分でお金を稼いて、自分の仕事をつきたくて、しょうがなかった。だから、早く大人になりたい。本当に、子供のままは嫌だったんです。そして、世界のいろんな国へ旅行してみたい、いろんな人と友達になりたい、今、叶ってますよね。
はい、でね、これを書いたきっかけがあるんです。私は今本当にこれを読み返して、思い出したのは、中学校3年生の夏休みに、私はアメリカに旅行に行っているんですね。ホームステイしに行ってるんです。初海外旅行。その当時。でね、その当時私は倉敷市に住んでいて、倉敷市とアメリカのカンザスシティは姉妹都市だったんです。で、今はないんだけど、その時プログラムがあって、交換留学プログラム、2週間だけのホームステイなんですけど、で、それに、応募して、私その時は頭が良かったんですね。はい、私のピークは小学校6年生と中学校3年生、それまでです。
もうそれは、それまでは、本当に頭がいい子、あと全然勉強しなかったんだけど、だから、応募して、当選した、当選したというか、選ばれて、選ばれた学生だけがそのプログラムに行くことができたんですね。参加することができて、で、夏休みアメリカ旅行してるんです。で、それが、きっかけだったと思うんです。あ、もっといろんな世界を見てみたい。だから、この作文が書けたはずなんですね。はい。
で、今私を見てください。今私は本当に自分のお金で、いろんな国を旅行することができます。そして、日本語教師という仕事を通して、いろんな人と知り合って友達になることができているんですね。はい、そうなんです。
で、ここ、将来のことは本当にわからない。だけど、いろんな勉強をして、いろんな経験をして、私に一番合っている職業につきたい、はい。私は、すぐに、大学卒業して、すぐには日本語教師にはならなかった。紆余曲折あって、いろんな思い、いろんな失敗、いろんな人生経験をして、ようやくフルタイムで日本語教師やっているわけです。はい、約50年かかりました。この、ここにたどり着くのに。でも今、私は自信を持って言えます。一番合っている職業たぶん日本語教師だと思います。将来のことはやっぱりわかりません。この先、あと残り50年、人生100年生きるとして、あと50年あるとして、この先の50年わかりません。ある日突然違うことやりたくなることあるかもしれない。でも、今は、私の生き方、人生に満足してると言えます。はい。
ただね、老後のことをちょっと書きましたよね。どんな15歳これ、15歳で、老後のこと書くなんて。平和に楽しく外国の大自然の中で、いいパートナーを見つけて、ペンション、なんか、ホステルみたいな、ね、ことをやってみたい。ま、それはたぶん、やらないかな。私は今、大自然の中に住む予定がない。やっぱりちょっと便利な都会に住みたいと思っているので、はい、大自然の中に、引きこもる予定はないんだけれども、でも15歳で、こんな老後のことも考えるなんて、どんな私だったのか。はい、面白いな、と思いました。
でね、本当に、あの、厳選された、厳選した私の昔の写真を持って帰ったので、あの、これをちょっと整理整頓しながら、あの、面白い写真があればね、私の、これはプライベートなので、PatreonかJapanese Togetherで紹介していきたいな、ちょっとエッセイでも書いてね、やっていきたいと思いますね。
はい、皆さん、私の子供時代、興味がありますか。はい、ま、でも、私はあまりね、過去を振り返りたくないので、できれば、ま、今、年をとっている私だけれども、常に今日と今日を大切にして、そして、明日を大切にして、前を向いて生きていきたいと思っています。はい、今日はここまでです。昔の私が書いた卒業論文を紹介しました。以上です。